東京ディズニーシープロジェクト(1988年~2001年)

東京ディズニーランドの成長が続く中、1988年4月15日、東京ディズニーランドが開園5周年を迎えた日の記者会見において、髙橋社長から第2パーク構想が発表されました。
 

第2パークの構想発表に向けての検討作業は、東京ディズニーランド開園後すぐにスタートしていました。
 

1983年10月にスタートした、東京ディズニーランドの将来施設開発計画と並行して進められたのが、パーク周辺開発についての検討です。ディズニー社との共同研究や千葉県との協議を重ね、1987年にはディズニー社とともに第2パークの導入コンセプトの受容調査を開始するなど、さまざまな検討作業に多くの時間を費やしました。
 

そして「第2パーク」は、1988年の構想発表後、1997年に「東京ディズニーシー」としてその概要が明らかになるまで、約10年という長い年月が費やされました。

初期段階で検討されていたのは、「ディズニー・ハリウッド・スタジオ・テーマパークat東京ディズニーランド」という、1989年に米国フロリダ州にオープンした「ディズニーMGMスタジオ・ツアー」をベースとしたテーマパークでした。
検討作業は順調に進んでいるかに思えましたが、1991年にそのコンセプトは見直されることとなりました。そして、改めて検討作業が行われ、1992年の新たなアイデアこそが、現在の「東京ディズニーシー」のベースとなる「セブン・シーズ(7つの海)」という“海”をテーマにした新しいコンセプトでした。
 

「東京ディズニーランドでは体験できないまったく別の感動を提供する市場性を持つこと」、「日本人に合う、何度でも来たくなるパーク」という計画要件に見合うプランを検討していた当社は、この“海”をテーマにしたディズニーテーマパークの実現に向け、大きく舵を切っていきました。
 

その後も、ビジネス交渉が詰められていくとともに、第2パークの具体的なプラン策定に向けて検討協議が進められていきました。

時に協議は、日米の持つ文化的な背景の違いにまでおよびました。
例えば、「東京ディズニーシー」のシンボルを決める過程において、当初ディズニー社は、アメリカ人にとって冒険の守り神であり祖国に戻ってきたシンボルとも言える温かなイメージを持つ『灯台』を提案していました。
一方、日本人にとっての『灯台』は哀愁を帯びた寂しいイメージがあります。
ディズニーテーマパークのシンボルとして相応しくないと感じる当社とディズニー社との議論は平行線をたどりましたが、こうした局面においても、常に建設的、かつ熱い議論を繰り返し、海をテーマとしたディズニーテーマパークのシンボルとして両社が導き出した答えは、“水の惑星地球”を表現した『アクアスフィア』でした。
 

今、『アクアスフィア』は東京ディズニーシーのエントランスにそびえ、訪れる多くのゲストにこれから始まる冒険への期待感を抱かせ、「東京ディズニーシー」という広大な海へといざなっています。

また、時にはこのような出来事もありました。
 

アメリカンウォーターフロントに停泊している客船「S.S.コロンビア号」についても、投資額との兼ね合いからその大きさについて議論が繰り広げられました。最終的にはディズニー社のイマジニアの想いが尊重され、全長140mというスケールの大きなものとなりましたが、東京ディズニーシーを訪れた誰もが圧倒される「S.S.コロンビア号が持つ本物感」は、彼らの想いをなくしては成し遂げられなかった施設と言えます。
 

こうしてゆっくりとではありますが、着実に歩を進めていった「第2パーク」計画の根底にあったのは、世界にひとつしかない「東京ディズニーシー」の創造に向けた、両社の「情熱」であり、「こだわり」でした。

そして1996年4月、当社とディズニー社は、「東京ディズニーシー・テーマパークの開発、建設および運営に関する契約」、「東京ディズニーシーホテルの開発、建設および運営に関する契約」を締結しました。
 

1997年11月には基本設計作業が完了し、「東京ディズニーシー事業計画(案)」として結実し、これを受け11月26日、東京ディズニーシーの事業概要が報道関係者に発表されました。翌日、完成予想のイラスト図とともに、“海のパーク開業”と、数多くのメディアで取り上げられました。構想発表から10年近い年月を経て、ようやく第2パークの姿を世に送り出すに至ったのです。

1998年10月22日、本体着工工事の開始に伴い、関係者約90名が参列して、東京ディズニーシー着工式を建設予定地内にて実施し、当社およびディズニー社の代表による鍬入れなどが行われました。着工式後は、隣接する会場で社長の加賀見とディズニー社アイズナー会長による共同記者会見を行い、東京ディズニーシープロジェクトの詳細な内容とともに、2つのパーク、ホテル、複合型商業施設が集積する、この舞浜エリア一帯を、「東京ディズニーリゾート」と名付けることを発表しました。
 

総工費約3,350億円、2年間におよぶ大工事を要した巨大プロジェクトは、いよいよ2001年9月にグランドオープンを迎えます。当社が第2パーク構想を発表した1988年からおよそ13年。世界中のどのディズニーテーマパークにもない、世界でただ一つの新しいタイプの“海”をコンセプトにしたテーマパークの誕生です。

9月4日午前8時。多くのゲストが見守る中、パーク中央の「メディテレーニアンハーバー」にて東京ディズニーシー・グランドオープニングセレモニーが実施されました。

 

この日は、18年前の東京ディズニーランドのオープンの日と同じく、朝からあいにくの空模様でしたが、ディズニー社のアイズナー会長、ロイ・ディズニー副会長、当社社長の加賀見が船上から「開園宣言」を行うその時だけは、我々の夢が結実したことを祝うかのように、雨もやみ陽が差し込んでいました。

こうして当社にとって“第2の創業”とも言うべき大型プロジェクトを成し遂げた後も、「東京ディズニーリゾート」はさらなる拡大が続いてきます。
次回は、「東京ディズニーランド」から「東京ディズニーリゾート」に進化していった過程をご紹介します。