東京ディズニーランド開業(1980年~1983年)

1979年4月「東京ディズニーランドの建設および運営に関する契約(基本契約)」の締結を受けて、1980年1月より、東京ディズニーランドの運営準備の一環として、米国ディズニーランドへの研修員の派遣を開始し、第1次米国研修員には、パーク運営のキーパーソンになる幹部社員9人が選ばれました。9人に対する研修は、パーク運営全体と担当部門のマネジメントに関わる重要な内容のもので、約1年におよびました。

研修プログラムは、ディズニー社の歴史、ディズニーランドのテーマショーの性質といった基礎知識から、ディズニーランドの運営にかかわる部門の業務概観や専門知識まで幅広くかつ実践的な内容で、その後も次々と研修員を送り込み、米国ディズニーランドの研修の受講者は延べ約150人にも及びました。
 

米国研修員の派遣から現在に至るまで30年が経過する間、東京ディズニーリゾートには30万人を超えるキャストが携わってきましたが、我々キャストの情熱はこの研修員をはじめとした開業のために集まった多くの志ある人々からしっかりと受け継がれているのです。

1980年代を迎え、東京ディズニーランド・プロジェクトは、いよいよパーク建設の段階に突入していきました。
1980年11月28日付で千葉県から「東京ディズニーランド建設実施計画」の認可を受け、12月3日に東京ディズニーランド着工式が執り行われました。

着工式と同日には着工記者発表も行われ、250名あまりの報道関係者が訪れるなど、東京ディズニーランドに対する期待の高さがうかがえました。そして、1981年1月に、東京ディズニーランド建設工事が本格的に開始されました。
 

工事は順調に進捗したものの工費は想定以上にかさみ、着工当初に見込まれた予算1,000億円は瞬く間に増加していきました。しかしながら「妥協はするな。本物を造れ」という髙橋社長の号令一下、スタッフはディズニー社と一体となって、知恵と力、全エネルギーをパーク建設に注ぎ込みます。その結晶である東京ディズニーランドの最終的な総事業費は、約1800億円にも上りましたが、開業後27年が経過した現在も色あせることのない、誇るべきテーマパーク、東京ディズニーランドが建設されたのです

建設工事の一方で、膨大な量のパーク運営マニュアルの作成や、キャストのコスチュームの製作など、パークの開業に向けた運営面での準備を進めていきました。
 

中でも、パークを運営するキャストの雇用はとりわけ大変な作業でした。1982年に「東京ディズニーランド雇用センター」を開設し、3000名規模のパートタイム/アルバイト勤務のキャストの募集を進めていったものの、大規模採用のうえに、当時はまだ舞浜までの通勤交通手段が少なく要員確保は困難を極め、キャストの採用活動が軌道に乗ったのは、東京ディズニーランドの開業半年後を過ぎた頃となりました。
 

着工式から2年4ヶ月を費やした建設工事を無事に完了した東京ディズニーランドは、1983年3月の竣工式以降4月13日までの約1カ月間、パーク運営の習熟訓練を兼ねての各種プレビュープログラムを実施しました。キャストやスタッフ一同の緊張感は日増しに高まっていったのです。

そして、1983年4月15日、あいにくの雨とはなったものの、ついに東京ディズニーランドが開園の時を迎えます。
開園に先立ち、髙橋社長とディズニー社のカードン・ウォーカー会長、ミッキーマウスなどのディズニーキャラクターたちによるテープカットが行われ、メインエントランスのゲートがオープン。開園を待っていた約3000名のゲストが入園を開始しました。そして、ワールドバザール内で行われた式典の壇上に髙橋社長が立ち、「1983年4月15日、ここに東京ディズニーランドの開園を宣言します!」と高らかに開園を宣言しました。
1983年4月15日、「夢と魔法の王国の扉」が開かれ、日本のレジャー史に燦然と輝く歴史の1頁が刻まれたのです。
 

東京ディズニーランドの開業から遡ること1年半前。当社は本社機能を東京都中央区日本橋室町から千葉県浦安市に移転させました。
その時、髙橋社長が全従業員に対して述べた訓示の一部を紹介させていただきます。

「私たちのやろうとしていることは、いわばサービス業です。この商売で一番大切なことは大衆の利益に合致すること、お客様に喜んでいただくことです。この気持ちがなければこの商売は決して成り立ちません。また、お金や施設さえあればできるというものでもありません。そのなかに魂が入っていなければダメです。人を動かすものは誠意であり、学識や弁舌ではありません。」
「万物は日々生成、発展を繰り返し、新たな成長に挑んでいます。我々もディズニーの受け売りだけではいけません。日米文化交流の一翼を担っているという信念とともに、これから10年後、20年後の東京ディズニーランドが独自に新しい分野を開拓し、“昔はああだったけど、今はこんなになった…”と皆さんが述懐し、感動することができるよう、今、心を一つにしてがんばりましょう。」
 

当時はまだサービス業という業種が確立していなかった時代だったかもしれません。また、当社としても第2テーマパークについて検討すらされていなかった時代に、髙橋が述べた言葉は、まさに現代のサービス業や現在の東京ディズニーリゾートを予見しての言葉のように思えます。

1983年に開業した東京ディズニーランドは、順調に訪問ゲスト数を増やしていきますが、我々のさらなる夢に向かった挑戦は続いて行きます。