東京ディズニーランドの成長(1983年~2000年)

東京ディズニーランドは、開業初年度から多くのゲストにお越しいただき、1984年4月2日には、1,000万人目のゲストをお迎えし、当初の年間目標1,000万人を達成しました。1985年度は夜のパレード「東京ディズニーランド・エレクトリカルパレード」の導入効果に加え、茨城県で開催された「つくば万博」との相乗効果もあり、年間の入園者数は順調に増加していきました。1986年2月に、外部調査による「東京ディズニーランドの経済的波及効果」を発表しましたが、1983年4月から1984年3月までの東京ディズニーランド関連支出の生産誘発額は1兆4835億円に達することが示されました。

東京ディズニーランドが開業して間もなく、当社は1983年10月に、東京ディズニーランドの将来施設計画である「第1次新規設備投資計画」(1983年度~1987年度)の検討を開始しました。これを第1次マスタープランとして位置づけ、その後もディズニー社と協議を重ねました。
 

また、これと並行して1986年に導入した「東京ディズニーランド・オフィシャルホテル・プログラム(現「東京ディズニーリゾート・オフィシャルホテル・プログラム」)」に、「サンルートプラザ東京」が参画し、1986年7月20日にオープンしました。その後、約4年に渡り、オフィシャルホテルが次々とオープンしたほか、2000年代には当社グループが運営するディズニーホテルも加わり、現在は東京ディズニーリゾート内に、3つのディズニーホテルと6つのオフィシャルホテルがゲストをお迎えしています。

パークの成長とともに、1986年度には経営の黒字化が進み、東京ディズニーランドの営業開始4年目にして前期までの累損一掃を果たしました。
 

経営の黒字化に成功したこの時期(1987年3月)、当社は「第2次新規設備投資計画」(1988年度~1992年度)を策定。この計画は入園者数をさらに拡大させる“パークの成長期”と位置づけ、数々の大型アトラクションの導入を計画いたしました。第1次計画で導入された大型アトラクション「ビッグサンダー・マウンテン」(1987年オープン)に加え、第2次計画には、「スター・ツアーズ」(1989年オープン)や「スプラッシュ・マウンテン」(1992年オープン)など、今でも根強い人気を誇る施設が計画されました。
 

第2次計画時には、折からの好景気も重なり、入園者数は毎年増加の一途をたどり、当初はアトラクションのみの計画であった「スプラッシュ・マウンテン」は、同アトラクションを主軸とする新しいエリア「クリッターカントリー」として大規模エリア開発計画へと発展していきました。

1988年度は東京ディズニーランドの開園5周年にあたる年となりました。5周年を記念した新しい昼のパレードなど、エンターテイメントを中心にパークコンテンツの拡充を図り、一方では、パーク外のキャンペーンとして、ミッキーマウスの熱気球が全国16都市を訪れる「フライングミッキー・フレンドシップツアー」を開催し、大きな話題を呼びました。
 

こうして、この年の入園者数は、それまでの入園者数の最高記録を大幅に塗り替える1,338万人を記録しました。また、開園5周年を迎えた4月15日の記者会見において、当社は「第2テーマパーク構想」を発表しました。それから続く東京ディズニーシー開業までの歴史は、次回の第5話にて触れさせていただきます。

この頃、パーク周辺にも大きな変化がありました。1988年12月に京葉線の舞浜駅が開業し、それまで地下鉄東西線浦安駅からバス輸送に依存していた、パークへのアクセスが飛躍的に拡大したのです。
 

開業当日には、舞浜駅でミッキーマウスも参加した華やかなセレモニーが実施されました。
なお、この時、JR京葉線は新木場駅と蘇我駅間の暫定営業であり、東京駅までの全線が開通したのは1990年3月のことでした。

こうした中、1989年に東京ディズニーランド事業が社会的な評価をいただくという、当社として非常に喜ばしい出来事がありました。
11月3日、秋の褒章受賞者が発表され、「日頃より民間の立場から公共のために大きな功績を残し、さらに『東京ディズニーランド』においては開園初年度から1,000万人以上の集客を実現し、国内レジャー消費や国際観光の有力拠点、大規模レジャー開発のモデルケースとして、日本の観光レジャー産業振興に大きな影響を与えた」として、当社髙橋会長(当時)が藍綬褒章を受章いたしました。
 

開園5周年の1988年度以降も、東京ディズニーランドは新規アトラクションの導入効果により、引き続き順調に入園者数を伸ばし、1991年度には、累計1億人目のゲストをお迎えするとともに、年間の入園者数は1,600万人に達しました。
その後も、新規ナイトパレード「ディズニー・ファンティリュージョン!」の導入(1995年度)や、7つ目のテーマランド「トゥーンタウン」の公開(1996年度)など、拡大・成長を続け、開園15周年を迎えた1998年度には、東京ディズニーランド単体として記録に残る1,746万人の入園者数となるなど、パークの入園者数レベルは段階的に伸びていきました。

東京ディズニーランドのキャパシティが限界を迎えつつあった頃、ついに第2テーマパーク「東京ディズニーシー」が開業します。
次回は「東京ディズニーシー」の開業に至るまでの、約14年間の歴史を振り返ります。